SNSを開けば、AIが描いた完璧なイラストや、
数秒で書き出された高度なコードが、何千・何万と拡散されていく。
目の前のタイムラインには、
「すごい!」「まさかAIがここまで…」という賞賛の言葉が並び、
それらは時に自分の作品よりも圧倒的に“魅力的”に見える。
最初は「すごい技術だな」「ちょっと怖いな」くらいの気持ちだった。
でも、見れば見るほど、比べてしまう。
「この人は、こんなに上手いのに……」
「あっという間に、こんなことまでできてる……」
「私は、ここまでやるのにどれだけ時間がかかったんだろう……」
そうやって、“AI”というより、他の“誰か”と自分を比べるようになる。
こんな経験ありませんか?
確かに最近のAIの進歩はすごいし、それで仕事が効率化されるメリットは、我々人類に大きな飛躍をもたらします。
しかし、実はそれと引き換えに失ってしまった大事なものもあるのです。
今日は、その失ってしまった大事なものとはなにか?という問いに対する答えを探っていきます。
この文章を読むと気づくこと
・なぜ、好きで始めたばかりの創作活動が苦しくなってしまうのか?
・AIと人間の“創作”の本質的な違いとは何か?
・他人と比べてしまう気持ちが、なぜ創作の喜びを奪ってしまうのか?
・「成果」ではなく「過程」にこそ、自分だけの意味が宿る理由
・描く意味を見失ったとき、どこに立ち返ればいいのか?
この文章を読み終わったとき、あなたは「描くこと」にもう一度、静かに手を伸ばしたくなるでしょう。
それでは、いきましょう。
- 🎯 なぜAIの作品を見て落ち込んでしまうのか?
- 🌀「描きたい」が「義務」に変わる瞬間
- 🎮 創作がズレていく──手段と目的の入れ違い
- 🔥 好きが苦しみに変わってしまう理由──アンダーマイニング効果
- 🧩「私、何をしたいのか分からない」という声の正体
- 🌱 “わからない”は、怠けの証じゃない
- 🧭 わからない時期=思考を始めるタイミング
- 🎁 描く意味は、あなたの中にある
🎯 なぜAIの作品を見て落ち込んでしまうのか?
近年、SNSや生成AIの進化により、かつて人の手でしか描けなかったような緻密で美しい作品が、わずか数秒で生まれるようになりました。
まるで「才能」や「努力」が意味を失ったかのように感じて、心が沈んでしまう──そんな経験をした方も多いのではないでしょうか。
「こんなにすごい絵が、AIで一瞬でできてしまうのなら、自分が時間をかけて描く意味って……」
そんなふうに感じてしまうのは、創作が単なる趣味や技術ではなく、「自分の存在意義と結びついている」からです。
人は誰しも、「自分がこの世界に存在していい理由」をどこかで探し続けています。
創作は、その答えを見つけるための手段のひとつでもありました。
AIによってその価値が脅かされるように感じると、自分自身まで否定されたような気持ちになるのは自然なことです。
でも、AIの作品には「完成度」はあっても、「物語」や「感情の積み重ね」はありません。
あなたが描いた絵には、あなたの時間や感情が確かに込められています。
それは、どんなに技術が進歩しても、決して置き換えられないものです。
🌀「描きたい」が「義務」に変わる瞬間
最初は、ただ「描きたい」という気持ちだったはずです。
好きなキャラを描きたい。
頭の中のイメージを形にしたい。
うまく描けたときの達成感がうれしい。
──そんな素朴な衝動が、あなたを机に向かわせていたはずです。
けれど、あるときから少しずつ変わっていきます。
「前より上手に描かなきゃ」
「〇〇さんみたいに注目されたい」
「最近投稿してないから、描かないと」
気がつけば、「描きたい」ではなく、「描かなきゃ」と思うようになっている。
これは、“描くこと”に評価や義務感が入り込んだサインです。
特にSNSで発信していると、「反応」がモチベーションの一部になっていきます。
「いいね」が増えた投稿と、そうでない投稿の差が気になり、自分の“らしさ”や“描きたいもの”よりも、「求められているもの」を優先して描くようになっていく。
こうして、創作が「自己表現」から「維持し続ける作業」へと変わってしまうのです。
🎮 創作がズレていく──手段と目的の入れ違い
創作において、とても起こりやすい問題があります。
それは、「何のために描いているのか」が、いつの間にかズレてしまうことです。
最初は「描きたい」「楽しい」「表現したい」という内側からの動機で始めたはずなのに、時間が経つにつれて、いつの間にか「うまく描かなきゃ」「評価されなきゃ」に変わっていく。このとき起きているのが、手段と目的の逆転です。
たとえば──
「好きなキャラを描いて共有したい」という目的があったとします。
しかしSNSでバズった経験があると、「もっと伸ばすには何を描けばいいか?」と考え始め、次第に「バズるために描く」という思考に切り替わってしまいます。
同じように、最初は「誰かに届けたい」「自分の思いを形にしたい」と始めたはずなのに、いつの間にか「収益化したい」「フォロワーを増やしたい」「PVを伸ばしたい」といった、数字を追いかけることが主な目的になってしまうことがあります。
もちろん、それらを目指すこと自体は悪いことではありません。
「生活の糧にしたい」「成長の証にしたい」と思うのは自然なことです。
ただ、それが創作を始めた動機そのものをすり替えてしまうと、心の軸がどんどん外に向かってズレていくのです。
このズレが大きくなるほど、創作は苦しくなります。
なぜなら、もともとの“描きたい”という気持ちから離れていくからです。
「周りの評価に応えないと」
「〇〇のジャンルを描けば、伸びるだろう」
「この系統の絵柄のほうが“強い”」
──そんな風に、だんだんと“自分”が消えていく。
創作は、誰かのために描くこともできますが、
自分を置き去りにしてまで描き続けると、燃え尽きてしまいます。
目的がすり替わっていないか。
描くことの主語が「誰か」ばかりになっていないか。
一度立ち止まって、確認してみることが大切です。
次章では、こうしたズレがさらに深まったときに起こる、
「🔥 好きが苦しみに変わってしまう理由──アンダーマイニング効果」について掘り下げていきます。
🔥 好きが苦しみに変わってしまう理由──アンダーマイニング効果
「好きだから始めたはずなのに、今はしんどい」
そんな声を、創作の現場ではよく耳にします。
やりたいと思っていたことが、なぜ苦しみに変わってしまうのか。
そこには「アンダーマイニング効果」と呼ばれる、心理学的な現象が関係しています。
アンダーマイニング効果とは?
これは、もともと内発的な動機(=好き、やりたい)でやっていたことに、外発的な報酬(=評価、お金、義務)が加わると、やる気が低下するという現象です。
たとえば──
絵を描くことが純粋に楽しかった人が、
「褒められるから」「数字を伸ばしたいから」「収益化したいから」といった理由で描き続けるうちに、描くこと自体が“課題”や“仕事”のように感じられるようになってしまう。
これは、前章で触れたような「フォロワー数」「PV」「収益」などを目的にしすぎてしまうときに、特に起こりやすくなります。
そして、怖いのはこの変化がとてもゆっくりやってくることです。
・SNSの「いいね」が気になり始める
・フォロワーの期待に応えようと、描くジャンルを合わせる
・義務感で筆を取る日が増える
そんな日々が続くうちに、「本当は描くのが好きだった」という気持ちすら思い出せなくなってしまいます。
けれど、あなたが「好きだった」ことまで消えるわけではありません。
ただ、その気持ちが、**評価や義務に押しつぶされて“感じにくくなっているだけ”**なのです。
大切なのは、
「好きだった」という気持ちを責めることではなく、
「どこでズレたのか」「どこで無理をしていたのか」に気づいてあげること。
次章では、こうした「描けない」「気力がわかない」といった状態にある人が感じやすい言葉、「🧩 私、何をしたいのか分からない」という声の正体について考えていきます。
🧩「私、何をしたいのか分からない」という声の正体
描きたい気持ちはあったはずなのに、今はもう、何を描けばいいのか分からない。
気力が湧かず、手が止まったままの日々。
頭の中では「描かなきゃ」と思っているのに、心は動かない。
そんなとき、多くの人が口にする言葉があります。
「私、何をしたいのか分からない」
この言葉には、自分でも気づかない2つの感情が隠れています。
① 「本当は好きなはずなのに、描けない」
→ 義務感やプレッシャーに押され、「好き」が見えなくなってしまっている状態です。
② 「自分の気持ちより、周りの反応を優先してきた」
→ 評価や他人の期待に応えようとしているうちに、
「何を描きたいか」ではなく、「何を描けば反応があるか」ばかり考えてしまっていた。
その結果、自分の声がかき消されてしまったのです。
🧠 ここで大切なのが、「反応」と「思考」との違いです。
反応とは、外部からの刺激(SNSの評価、人の言葉、トレンド)に対して無意識に動く心の動きです。
たとえば、「バズっているジャンルだから描こう」「褒められたからまた描こう」という行動は、ほとんどが“反応”です。
一方、思考とは、自分の内側に向かって問いかけること。
「私はなぜ描きたいんだろう?」
「どんなときに心が動いたんだろう?」
というように、時間をかけて自分の“本当の願い”に触れようとする行為です。
描きたい気持ちが見えなくなったとき、“反応”ばかりで動いていたことに気づかず、
「何もしたくない自分=怠けている」と思ってしまいがちです。
でも本当は、“反応を手放して、思考を始める準備ができた”サインなのかもしれません。
次章では、こうした「わからない」状態を、怠けではなく自然な心の過程として受け入れる視点をお伝えします。
🌱 “わからない”は、怠けの証じゃない
「描きたいのに描けない」
「やらなきゃと思っているのに、手が動かない」
そんなとき、心のどこかで、こんな言葉が浮かんでくることがあります。
「自分はただの怠け者なんじゃないか」
「こんなことで悩んでるのは、自分だけかもしれない」
でも、その“わからない”“動けない”という状態は、怠けではありません。
むしろそれは、**「自分の内側に向き合おうとしているサイン」**です。
これまでの章で見てきたように、
・描く理由が義務感や評価にすり替わる
・数字や成果ばかりに意識が向く
・他人の反応を優先して、自分の声が聞こえなくなる
──そんな状態が続いたとき、人は一度「立ち止まらざるを得なくなる」のです。
それは“怠け”ではなく、“疲れ”や“混乱”です。
🧭 わからない時期=思考を始めるタイミング
創作に限らず、「思考」は“すぐに答えが出ないこと”と向き合うプロセスです。
最初からやる気が出て、目的が明確で、スラスラ描ける人なんていません。
「私は、何が好きだったっけ?」
「本当は、何を描きたかったんだろう?」
そうやって、“反応”からいったん距離を置いて、自分の声を探すこと。
それがまさに、「思考」の始まりです。
SNSや外の情報ばかりに触れていると、「今すぐ動く人」や「毎日頑張ってる人」がまぶしく見えて、立ち止まっている自分が取り残されているように感じるかもしれません。
でも、本当に大切なのは、どこに向かって進みたいのかを見極めることです。
そのためには、立ち止まることも、迷うことも、すべて必要な時間なのです。
“わからない”は、怠けではない。
それは、自分の本当の声に耳を澄ませるための、静かな準備期間なのです。
そして最後に、あなたに伝えたいことがあります──
🎁 描く意味は、あなたの中にある
「描けない」と悩むとき、
「もうやめてしまおうかな」と迷うとき、
その背景には、ずっと大切にしてきた“描くこと”への想いがあります。
「どうでもいい」ことなら、こんなに苦しんだり、立ち止まったりしない。
あなたは、それだけ本気で向き合ってきたのです。
描く意味は、外にはない
描く意味を見失ったとき、人は答えを外に求めがちです。
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誰かに認めてもらえれば
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数字が伸びれば
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AIに勝てるスキルがあれば
けれど、外の世界は変わり続けるし、評価は移ろいやすいものです。
だからこそ、本当の意味は、他人の声ではなく、自分の中にしか見つけられません。
人間の創作には「不完全さ」がある──だから、意味がある
あなたが、朝4時に目をこすりながら描いたラフ。
悩んで、迷って、何度も塗り直した肌の色。
何気なく描いたキャラクターに、ふと重なってしまった自分の過去。
それは、「表現されたもの」そのものよりも、「あなたがそれを描いた」という事実にこそ、意味が宿っているということ。
人間の創作には、必ず“歪み”や“迷い”、つまり**“意図の揺らぎ”**がある。
でも、だからこそ──
不完全だからこそ、人は惹かれるのです。
苦しみの中に残る、美しい記憶
思い出してください。
たとえば、昔のファミコン時代のゲーム。
今のように親切な設計なんてされていませんでした。
私にとって忘れられないのは『ドラゴンクエストII』の「ロンダルキアの洞窟」。
ノーヒントの落とし穴。
セーブ機能のない時代、復活の呪文を一文字でも間違えれば、すべてが水の泡になる。
──でも、あの苛酷さがあったからこそ、洞窟を抜けた後に見えた雪景色の美しさを、今でも鮮明に覚えているんです。
不完全だったからこそ、記憶に焼きついた。
AIが用意したスムーズな導線の先にある“感動”よりも、自分の手で試行錯誤したあとの成功体験のほうが、心に残る。
それは、受動的に与えられた記憶ではなく、自分の手と足で獲得した能動的な記憶だったから。
描くことも同じ
うまく描けなくて泣いた日。
線がガタついたラフ。
他人と比べて凹んだ夜。
その“苦しさ”すらも、自分が描いたという能動性の中に含まれている。
だからこそ、人間の創作には意味がある。
それは単なる画像ではなく、
記憶と痛みと問いが織り込まれた、生きた記録なのです。
感情を大切にしている人は、自分の内面に正直でいようとします。
喜びも、悲しみも、戸惑いも、作品の中にすくい上げ、形にしようとするのです。
そのプロセスは、たとえ遠回りであっても、深く誰かの心に届く力を持ちます。
一方で、感情を切り離し、効率や評価だけを追いかけてしまうと、
創作は“義務”になり、自分自身とのつながりが薄れていきます。
AIがどれほど精巧な作品を生み出しても、そこに感情はありません。
でも、私たち人間は、感情があるからこそ、迷い、悩み、それでも描き続けるのです。
だから、大丈夫。
今描けない日があっても大丈夫です。焦らなくていい。無理しなくていい。
**「また描いてみたいな」**と思えたその瞬間が、もう次の一歩です。
描く意味は、いつでも──
あなたの中にあります。
✍️ あとがき
ここまで読んでくださってありがとうございました。
この文章が、かつての私のように「描けなくなってしまったあなた」に、ほんの少しでも優しく寄り添えたなら嬉しいです。
ご感想などあれば、ぜひコメントやシェアで教えてください。
